2012年02月15日(水)
夕陽とこれから [日々の徒然]
複雑に絡み合う冬枯れの梢の合間から、時折、夕陽が強い光を放つ。
しばらくすると陽は梢の陰に隠れ、眩しさから解放された場所では濃い影が、闇の時間の訪れが近いことを告げている。
私は同じ場所に立ち、梢と夕陽が織りなすたわいもない光と影のドラマを眺めながら、ゆっくり過ぎていく日暮れの時間の中にある思いを委ねていた。
写真展が無事開幕し、沢山のアーティスト達と自分の作品を同じギャラリーに並べて展示することができた。それを踏まえて、今は次の一歩を考えている。
今回の「第一回NGP Fotoアンデパンダン展」には、展示写真の他にこの一年間に撮った写真から自分のポートフォリオを制作し展示した。このことが、図らずも「Passing Sight」スタイルで撮影した写真の集大成を行う結果となったようだ。
「図らずも」というのは、「まだ集大成など十年早い」と思っていたのに、いざ額装した写真とポートフォリオを展示してみたら、意外なことにある種の区切り感があり、数日経つうちにそれが確定的になってきたからだ。
そもそも、何のために写真を撮っているのか?
端的に言えば、好だから撮っているのである。
去年くらいから友人の写真家達の影響で、意識的に東京の街の光景を撮るようになり、街場でのお散歩撮影が本格化した。お散歩撮影は、無目的にぶらぶらマイペースでの撮影で、でたとこ勝負、流れゆく光景を目に付くままに撮る撮影スタイルを称して「Passing Sight」と呼ぶようになった。
「Passing Sight」スタイルの撮影は、基本的に一人で、流れる街の光景に対して受け身で、あるがままに撮影する。一見孤独で寂しい作業のようだが、これがなかなか新鮮で、カメラをぶら下げて一人でぶらぶら撮影するのが楽しかった。まぁ、みんなでわいわいお散歩撮影も楽しいんだけど(^^)、それとこれとは違った楽しみがあったのだ。
逆に言えば、この一年間、「これを撮る」と決めて何かを撮影したことがほとんどなかった。
イメージをふくらませ、それを表現するための写真と正反対なのが、「Passing Sight」のスタイルだ。
次の一歩は、テーマを持って撮影したほうがいいのだろうか。
そろそろ、意図を持った写真にも挑戦してみたい。
いやいや、まだまだ「Passing Sight」スタイルで行くべきだろうか。
最終的には、撮っていて、あるいはとれた写真が「楽しい」方に振れるのだろうが、これから春にかけて、以前思いついた「トレイン&フォト」も含め、色々試してみたいと思っている。
できれば、ポートレートや意図的に人を配した写真などにも挑戦したいのだが、誰かモデルを買って出てくれる人など、いないものだろうか・・・。
ちなみに書き出し部分は、芥川賞や直木賞に感化されて、いわゆる文学的表現というやつを狙ってみただけで、ほぼ本文とは関係ない(^^;)
ひょっとして、そっちの可能性もあるかも (゜゜)\バキ☆
Posted by Julian at 20時30分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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