2010年04月28日(水)
東京大仏 [デジタル写真]
先週の週末、GR DIGITALにワイコンと外付けファインダーを付けて似非レンジファインダー風にしたカメラを首からぶら下げて、近所を散歩した際の1枚。
良く晴れた青い空に大仏様の黒い体が良く映えていました。
しかし、GR DIGITALにワイコンを付けると、35mm換算で21mm相当の超広角になります。
更に、外付けファインダーで撮っているため、一眼レフや背面液晶のコンデジとは異なり、見た図と撮影される図が微妙に異なるため、恐ろしく構図が難しくなります。
しかし、GR DIGITALのスナップモードでパンフォーカスの軽快さには、捨てがたい魅力があります。
次回は、ワイコンを付けずに28mm相当で、少し自分を甘やかして(^^;)、スナップ街撮りに挑もうと思います。
Posted by Julian at 00時07分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2010年04月18日(日)
東京スカイツリー [デジタル写真]
池袋のサンシャイン60屋上スカイデッキからの遠望。
多分見えると踏んで行ってみたら、思惑通りばっちり遠望できました(^^)。
しかし、どうせα100を持っていくなら、500mmレフレックスを持っていけばよかった・・・。今日のところは、300mmです。
ところで、中国の上海万博のPR曲が岡本真夜のヒット曲「そのままの君でいて」と最初から最後までうり二つと騒がれていた件、結局PRでの使用を中止したようですね。
かの国においては、国家の威信を懸けた今回のイベントの顔として、よりによって日本の曲の盗作曲であることが明白な楽曲を使うことは、流石にあり得なかったということでしょうか。
曲自体は前向きな曲調の良い曲なんだから、作曲者名を「岡本真夜」に変えて、そのまま使い続ける位の度量を示せば、かの国の知的財産権への姿勢として見直されたろうに。ま、そんなことをしたら、別のところで別の問題が色々でてきそうだけど・・・。
なんにしても、上海万博開幕まであと少しです。
自分は、行けそうにありませんが、中国大陸へ第一歩を踏み出す機会としては、良いチャンスかもしれません。
建設中のスカイツリーをみていたら、上海タワーを思い出し、上海万博に飛躍してみました(^^;)。
Posted by Julian at 15時58分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2010年04月11日(日)
石神井川の桜 [デジタル写真]
先週、4/4に撮影した、石神井川の桜です。
曇り空、しかも4月とは思えない寒い日でしたが、桜は満開でした。
一輪一輪も綺麗に咲いてます。
川沿いに桜並木が延々続きます。
東武東上線中板橋駅から徒歩5分程と行きやすい割に、花見スペースがあまりないためか、ここは、さほど混んでいません。
この場所へは、今年始めて行きましたが、来年もまた行こうと思います。
Posted by Julian at 19時15分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2010年04月10日(土)
茶紙の花束 [デジタル写真]
自転車でぶらりと近所を散歩してきました。
住み始めた頃は、近所を一周するだけでも新しい発見だらけで何かと面白かった我が街も、二年も経てば、いつしかみんな当たり前の日常になってしまい、なかなか被写体を見つけられません。
それでも、ふと思いついてシャッターを切れば、なにげない街の中のちょっとした物語を切り取れることもあります。
花屋の店頭の箱に無造作に突っ込まれた茶紙の花束。
この街らしくて良い感じです(^^)。
Posted by Julian at 23時27分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2010年04月04日(日)
板橋宿 [デジタル写真]
どこにでもありそうな、ちょっとうらぶれた感じの商店街。
これが、江戸時代に中山道六十九次の最初の宿場町として栄えていた「板橋宿」の現在の姿です。
品川宿、内藤新宿、千住宿と並び江戸四宿と呼ばれた面影は、まったくありません。街としての寂れ具合は、旧江戸四宿のなかでも多分、一番かも(^^;)。
板橋宿が寂れてしまった原因として、よく言われているのが、鉄道敷設に街ぐるみで反対したこと。
なんでも、山手線の路線を決める際に「是非、板橋宿にも駅を」と言う要望が事業主である国の側にあったにもかかわらず、当時の町役人達が「鉄道など通したら『街道の宿場町』という我が町のアイデンティティが失われる」と断ったことから、わざわざ板橋宿を避けて鉄道が敷設されることになり、その結果、鉄道開通と共に人の流れが変わり、明治維新後も、まぁ、なんとか繁華街として生き残ってきた板橋宿は、人の集まる場所としての機能を失い、一気に衰退していったとのことです。
今、この場所は、国道17号線の裏通りにあります。しかし、クルマで17号線の旧板橋宿のあった場所のすぐ隣を走っていても、どこが旧板橋宿跡なのか誰も気づかないのではないかと思われます。
繁華街の盛衰を実感できる場所として、一度、訪れてみても面白いかもしれません。
ちなみに、「板橋」の名前の元になったと言われる板の橋があった場所は、旧板橋宿から板橋本町の方へしばらく行ったところにあります。
Posted by Julian at 19時22分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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