2010年04月04日(日)
板橋宿 [デジタル写真]
どこにでもありそうな、ちょっとうらぶれた感じの商店街。
これが、江戸時代に中山道六十九次の最初の宿場町として栄えていた「板橋宿」の現在の姿です。
品川宿、内藤新宿、千住宿と並び江戸四宿と呼ばれた面影は、まったくありません。街としての寂れ具合は、旧江戸四宿のなかでも多分、一番かも(^^;)。
板橋宿が寂れてしまった原因として、よく言われているのが、鉄道敷設に街ぐるみで反対したこと。
なんでも、山手線の路線を決める際に「是非、板橋宿にも駅を」と言う要望が事業主である国の側にあったにもかかわらず、当時の町役人達が「鉄道など通したら『街道の宿場町』という我が町のアイデンティティが失われる」と断ったことから、わざわざ板橋宿を避けて鉄道が敷設されることになり、その結果、鉄道開通と共に人の流れが変わり、明治維新後も、まぁ、なんとか繁華街として生き残ってきた板橋宿は、人の集まる場所としての機能を失い、一気に衰退していったとのことです。
今、この場所は、国道17号線の裏通りにあります。しかし、クルマで17号線の旧板橋宿のあった場所のすぐ隣を走っていても、どこが旧板橋宿跡なのか誰も気づかないのではないかと思われます。
繁華街の盛衰を実感できる場所として、一度、訪れてみても面白いかもしれません。
ちなみに、「板橋」の名前の元になったと言われる板の橋があった場所は、旧板橋宿から板橋本町の方へしばらく行ったところにあります。
Posted by Julian at 19時22分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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