2011年11月18日(金)
物欲・・・Minolta TC-1 [お買い物]
2005年頃、写真にはまりだした最初から、何故かコンパクトカメラが好きで、当時、わけも分からずKonica HEXAR Silver を手に入れてみたり、ヤフオクでKonica C35 flashmatic を手に入れてコニカミノルタで修理して貰ったりしていた。
その後、一眼レフに行ったり、レンズ交換式レンジファインダーに行ったり紆余曲折はあるものの、今年もKonica BIG mini F やGR DIGITAL III を手に入れるなど、コンパクトカメラ好きは変わらない。
つい最近、某中古カメラ店で比較的安価なMinolta TC-1のAランク品を見つけた。以前フィルムコンパクトを調べている時に、「フィルムコンパクト時代の最後を飾る名機」とまで書かれていたカメラである。
感情では欲しい。が、ロジカルに考えれば必要はない。
カメラもレンズも、とりあえず今の撮影スタイルを続ける限り過不足ない分は揃っている。
ま、見るだけ見に行ってみようかな・・・ということで、先週某中古カメラ店へ行ってきた。
見るだけ、見るだけ・・・。
あら?
結局、物欲に負けて、連れて帰ってきてしまった(^^;)
最近、視力というか、目のフォーカス機能の性能低下を自覚している。いわゆる老眼である。
これが進行すれば、レンジファインダーも一眼レフも、マニュアルフォーカスは厳しくなってくる。しかし、オートフォーカスなら、大丈夫。
勿論、そこまで考えて手にいれたわけではない(゚゚ )☆\バキ
大体、AFコンパクトも、Konica BIG mini F とHEXAR Silverがある。
ま、単に欲しかったということだ(^^;)
Minolta TC-1は、本当に小さい。
愛機Konica C35FDと並べてみると、TC-1は、まるでコンデジみたいに見える(^^;)。C35FDだって、フィルムカメラとしては、コンパクトな方なのに。
この二台にKonica HEXAR SilverとBIG mini Fを加え、画角28mm、35mm、38mmの街撮り主力機として、使い倒していくつもりである。
Posted by Julian at 21時22分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年11月09日(水)
こいつで、もっと撮ろう [写真機徒然]
今年の2月に気合いとともに購入したKonica HEXAR RFの稼働が落ちている。
理由は、同じKonicaの一眼レフFT-1 motorやC35 FDやBIG mini F など、他のカメラの稼働が増えているからだ。
私は、実は機材に対するこだわりがあんまりない。
こだわりのなさが節操なしになり、好奇心が勝ってカメラが増殖している。
しかし、時々特定の機材にこだわりたくなることがある。
で、今は、Konica HEXAR RFな気分なのだな。
こいつで、もっと撮ろう。今週末は、HEXAR RFを首からぶら下げて、東京のどこかの街をお散歩カメラしよう。
あ、そういえば、今週末は、浅草で用事があったんだった・・・。
行き先は、浅草かな(^^)?
Posted by Julian at 21時10分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年11月04日(金)
ネタ切れ [銀塩写真]
しばらく撮影に出られないでいたら、blogに載せたいタイムリーな写真がなくなってしまった。
上の写真は、約一ヶ月前にお茶の水で撮影したもの。
今のところ、東京の街をお散歩カメラしたのは、この時が最後である。
猫写真ならまだまだあるのだが、そればかりではblogタイトルを変えねばならなくなる(^^;)。
今週末も、土曜日は嫁さんのお付き合いで買い物、日曜日は悪天候らしく、撮影には出られそうにない。
ま、こういうことは焦っても仕方ない。
ゆるゆると行こう(^^)。
Posted by Julian at 22時32分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年11月01日(火)
気をつけ〜! [デジタル写真]
Posted by Julian at 00時11分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年10月29日(土)
写真という表現手段 [日々の徒然]
写真機には、目の前の現実を写し取るコピー機としての使い方と、表現したい絵を制作する絵筆としての使い方と、大きく分けて二つの使い方があるように思う。
前者の究極の作例が、目の前の被写体をそのまま写して出す報道写真であり、後者の究極の作例が、被写体や光、影、色を作者のイメージに合わせて精緻に作り込むアート写真である。
そして、その中間に、様々な写真表現がある。
例えば、スタジオで撮るポートレート写真は後者に近いし、ライブや祭りなどのイベント写真などは前者に近い。
同じように目の前の現実を撮っていながら、イメージ通りの光や影が現れるのを待ち続ける風景写真は後者に近いと思うし、なにものかを表現するために一瞬のタイミングや通り過ぎる光景を写し取るストリートスナップの手法は前者に近い。
また、森山大道のように、コピー機的な撮り方をして現像やプリントで絵筆のように表現する人もいるし、HCBのように、作り込まない目の前の被写体をコピー機的に撮っていながら、画面構成自体が写実画を思わせるような人もいる。蜷川実花の写真の色彩はアートな領域だと思うが、表現したいことが異なれば、窪塚洋介を撮った写真のようにストリートスナップ的な手法でも撮っている。
コピー機的な手法も絵筆的な手法も、写真家が「これをやろう」と思えば、写真機は道具として応えてくれる。そのための技法は、それこそ非常に沢山の選択肢があるのだろう。その辺は、まだまだ全然詳しくないので、ここでは感覚論的な話に留める。
残る問題は、写真機を使って何を表現したいのか、ということだ。
コピーか、絵筆か、その中間か。
私の場合、自身の撮影スタイルから「目の前を通り過ぎる 『Passing Sight 』を写し取る」というコンセプトを掲げてみたのは良いけれど、「で?」という問いに対する答えは、なかなか出ない。
現実コピー写真を表現手段として採用し、どんな写真を撮り、どんな波動で相手の感情になにものかを引き起こすのか。それは、これまでに撮った写真、これから撮る写真で探してしていくことになるんだろうな。
Posted by Julian at 12時27分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
【 過去の記事へ 】