2010年06月26日(土)
愛猫の死 [日々の徒然]
先週の土曜日、10年間一緒に暮らしてきた愛猫が死んだ。
腰にできた卵大の脂肪腫を除去する手術中に、麻酔管で気管もしくは肺を傷つけられるという事故が起きてしまい、それが原因でのあまりにも急な死だった。手術そのものは簡単な手術なのに、それとは直接関係ない事故で死んでしまうとは、全くの予想外の出来事だった。
水曜日、病院に連れて行くまで、事前の検査で内蔵の数値にも悪いところはなく、腰から大きな腫瘍(これも、事前簡易検査では良性とのことだった)をぶら下げてはいたが、いつも通りピンピンしていた。
木曜日、手術は成功したこと、呼吸困難に陥っていることの連絡があった。しかし、大したことはないという口ぶりだった。
金曜日、呼吸困難がつづいているため、酸素室に入れていいか?という連絡があった。皮下気腫という症状がおきているとのことだったが、詳しいことは何も告げず、症状の重大さや原因についての説明はなく、「よくあることだ」と言われた。
土曜日、朝、腎不全を防ぐため、血流を増やす薬を投与していいか?という連絡があった。呼吸困難について確認すると、まだ酸素室にいるが収まっているという。
午後、病院から容態急変を告げられ、急遽病院へ駆けつけた。「喀血した」とのことだった。病院へついたときには、すでに愛猫は死んでいた。
変わり果てた姿に対面した時のショックは、ちょっと言葉が見つからないくらい大きかった。
元気いっぱいに入院した愛猫は、もう二度と動かない姿になって家に帰ってきた。
長生きさせるために受けさせた手術で命を失う結果になるとは、あまりにも不憫で、かわいそうで、また後悔の思いで、先週一週間、何も手に付かないくらい焦燥した。
愛猫が入院したのは、この周辺では名うての繁盛病院である光が丘動物病院である。
インフォームド・コンセントを標榜しているが、正直のところ、「〇〇という処置ををしてもいいか?」という確認だけで、その影響やリスク、治療方針についての説明はなく、なんだか病院の責任逃れの口実に使っているとしか思えなかった。
この病院の、手術前、麻酔処置、手術、手術後の対応など、複数の医師が担当していながらお互いに連携していない、とても場当たり的で杜撰な治療体制にも怒りを覚える。誰かが一貫して責任をもって対処してくれていたら、愛猫は、事故を乗り越えて、あるいは助かったかもしれないのに。
いまさら病院や獣医師に対して怒りをぶつけても、愛猫は帰ってこない。
あれから一週間が経ち、悲しみは消えないが、だいぶ気持ちは落ち着いてきた。
いまはただ、10年間幸せを与えてくれた愛猫に感謝し冥福を祈りながら、静かな暮らしに戻りたいと思う。
Memories of Taizo
Posted by Julian at 12時46分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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