2019年05月27日(月)
見えないものを撮る [日々の徒然]
作品写真とは、結局のところ、そういうものなのではなかろうか。
写真は、存在するものしか写らない。
しかし写真は嘘をつく故に、「写真に写っているからその被写体は実在する」という逆説は成立しない。
作品とは、まだ見ぬ何かを創造する行為であろう。
だとすれば、写真の作品とは、「存在するものを撮影しながら、見えないものを見せる」ものとは言えないだろうか。
最近、「アートとは、真面目な悪戯である」とも思っている。
悪ふざけに近い思いつきから、変容は生まれる。
教科書的な追求だけでは、なかなか殻は破れない。
すなわち、真面目な悪戯心にプロフェッショナルな技術があいまった時、アート作品が生まれるのではなかろうか。
悪ふざけに近い思いつきから見えないものを撮り、真面目な悪戯心を持ったプロフェッショナルな技術で仕上げる。技術として、自分でできないことは外注する事も含める。
アートかドキュメントか、いずれにしても「見えないもの」を「撮る」ことで見せるのだ。
言うは易し行うは難しだけど、これかな。
Posted by Julian at 20時05分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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