2011年03月22日(火)
やらない善より、やる偽善 [日々の徒然]
「やらない善より、やる偽善」
『鋼の錬金術師』という漫画のセリフらしいです。
切れのいい、良いセリフですね。
私は、純粋な気持ちで世のため人のためにボランティアや寄付ができるほど、人間ができてはいません。それならば最初から、「偽善である」と自らを規定し自覚した方が、なんぼか「やる」ことへの躊躇が薄れます。
どんなにささやかでも、「やる偽善」。
正しいこと、善なることを声高に叫んだところで、「やらない善」に価値はありません。
Posted by Julian at 18時30分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月20日(日)
さて、と [日々の徒然]
東北関東大震災から一週間。この間、被災地域である東海村にある実家のことを書いてきました。
相対的に被害が少なかったこともあり、実家の方は、昨夜の村内全域の水道復旧をもって、電気、ガス、水道のライフラインがひと通り復旧しました。村内最大のSCであるイオン(旧ジャスコ)も営業を再開したとのことで、ようやく少しづつ平常を取り戻しつつあるようです。
東海村に於ける残課題は、道や鉄道など交通網と、ガソリン、ティッシュペーパー、トイレットペーパーなど一部物資の不足、そして余震でしょうか。
原発に何事もなかったのは不幸中の幸いでした。
東海村の元住民としては、福島原発の件は人ごとではなく、何事もなかったことは、「不幸中の幸い」としか言いようがありません。
なお、同じ茨城県でも、県北(高萩、北茨城、日立、那珂湊など)、県南(鹿島、神栖、潮来、行方など)には、重度の被災地域が少なからずあり、その復旧には、まだまだ時間がかかりそうです。
日立市の生まれで、幼少時に一年間だけですが神栖に住んでいたこともある私にとって、県北、県南の復興状況も気になっています。
現在、東京23区の外れに住む私は、どういうわけか居住地域が輪番停電から除外されたことから、この花粉の時期にティッシュペーパーが足りなくなりそうなことと、ガソリンが入れられないことを除けば、平常通りに暮らしています。
ま、当分の間、意識的な節電を続けることになりますが、これはぜんぜん大したことではありません。
今後、震災に関しては、自分にできることを継続的に粛々と実施していきます。
茨城県もそうですが、福島県、宮城県、岩手県に広がる被災地域の復興には、数年単位の時間と、継続的なお金と労力が必要です。
自分に何が出来るのかを考え、無理なく続けられることを実施していこうと思います。
このブログで震災に触れることは、多分、もうないでしょう。
政府与党が、よほど阿呆なことでもしない限り・・・(^^;。
さて、本ブログの主題である写真の方も、そろそろゆるりと再始動します。
昨日は、芹沢光機さんに修理してもらった黒のKonica FT-1 motorにKonica HEXANON AR40mm F1.8をつけて、近所を少しお散歩カメラしてきました。
7枚ほど撮影した感じでは、実に軽快な動作で、完全に調子を取り戻してくれたようです。あとは、現像結果をみて、完調を判断したいと思います。
このカメラが完調に復してくれれば、今年の我が主力カメラとして、HEXAR RFともども、ガンガン使っていく予定です。
被写体は、当面は相変わらずの「街撮り」でいきます。
相変わらずではありますが、魅力的な街撮りを追求するべく、少し意識的なロケハンなどもするかもしれません。
Posted by Julian at 18時01分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月15日(火)
東北関東大震災 Part.3 [日々の徒然]
昨夜、東海村の実家と固定電話で話をすることができました。
現地では、みんな大変な目にあっていること、東京からではなにもできないことに違いはありませんが、直接話ができると安心感が違います。
東海村は、震災3日にして、大部分の地域で電気は通ったようです。
ただ、村内全域で水道とガスがダメとのこと。水は配給で、復旧見込みのアナウンスは、まだないようです。
また、物資が圧倒的に不足しており、村内最大の小売店「イオン(旧ジャスコ)も店を閉じており、トラックが着く度に店の前で売りさばいている状態だとか。
水道、ガス、下水などのライフラインの復旧も大事ですが、併せて、生活物資が滞りなく豊富に被災地に届けられることを願います。
ところで、震災の被害が比較的軽微な東京では、スーパーやドラッグストア、コンビニの店頭から、ペットボトル入りの水や、トイレットペーパー、保存がきく食料品が、一夜にして消えるという現象が起きています。ホームセンターではガスボンベが、電気屋さんでは携帯ラジオと電池が店頭から消えました。
震災の余震についてマスメディアを通じて情報が流れるにつれ、いつもよりも1本・1品多く買ったり、極端な話、必要もないのにまとめ買いをする「買い占め」に走った人も少なからずいたようです。勿論、停電の影響もあるのでしょう。
東京近郊の海沿いの一部地域では、今回の地震でライフラインが破壊され、断水して給水車が回っている地域があります。そう言う地域で、ペットボトル入りの水がスーパーの店頭から消えると言うなら話もわかりますが、買い占め騒動は、東京中のスーパーやドラッグストアで起こっているようです。
ちなみに、板橋区にある我家の周りのスーパー、コンビニの店頭も、ご多分に漏れずすっからかんです。
まぁ、誰だっていざというときに飲み水や食べ物がないのは恐怖でしょう。その気持ちは、わからないではないですが、この現象は、ちょっと短絡的。
一体、東京人はなにをやっているのか?と恥ずかしくもあり、滑稽ささえ感じてしまいます。
水の備蓄が欲しければ、まず手元の空のペットボトルを洗って水道水を入れ、それで足りなければ、とりあえず今日明日に必要な分だけ水のペットボトルを買ってきて、飲み終わるごとに水道水を詰めて備蓄用にすれば良いのでは。
それであっという間に10Lや20Lの備蓄ができます。
保存食も、本当にそんなに必要なのでしょうか?
自宅の棚を探せば、結構色々、2-3日分くらいは、普通に出てくるのでは?
まぁ、何はともあれ、東京の食品スーパーの店頭すっからかん騒動、いつまで続くか、天の邪鬼な私は、高みの見物を決め込んでいます。
Posted by Julian at 18時55分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月13日(日)
東北関東大震災 Part.2 [日々の徒然]
3/13 日曜日。朝、妹あてに両親から電話連絡があり、とりあえず無事であることがわかりました。一安心です。
しかし、電話は公衆電話から発信のみ、水は配給、食料も底を突き、配給を受けるにも、食料を手に入れるにも数時間は並ぶと言う現地の状況を知るに、既に70歳を越している両親の体力が限界に達しているであろうことが心配です。
東北地方の被災地で亡くなった方には、心から哀悼の意を表します。
しかし、今は東海村へ通じる道を、東京からの一般車両が通れるようになるのは、一体いつになるのか。それが最大の気がかりです。
各地から茨城県へ通じる道の利用で、今優先すべきは、多くの人々の命を救う援助物資の運送です。
茨城県中部〜北部にかけては、東北地方沿岸部と比べて被害そのものは少なく、ライフラインが途絶えている中で、大勢の人々が生きています。
また、福島県など近隣県からの避難受け入れも開始されています。
人が生きていれば、喉も渇くし、腹も減ります。
彼の地の物資は、この2日で、相当心細くなっているようです。
それ故、私情を殺して、今は、物資の輸送、あらゆるライフラインの復旧を担当するプロ達やレスキュー隊の通行を最優先に考えざるを得ません。
茨城の老人達は、その他多くの地域の老人達同様、若い人に物資を譲る人が多そうな気がします。
非常に心配しているのは、そう言う老人達へ食料や水が上手く配分されず、体力に劣る老人世帯で餓死者が出るような事態です。これは、なんとしても避けなくてはなりません。
東京にいては、なにもできません。
ただ、故郷の両親、親族、そして子供の頃にお世話になった(・・・迷惑をかけた(^^;)?)近隣の方々が、この困難を無事に乗り越えてくれることを、心から祈ります。
Posted by Julian at 18時33分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月12日(土)
東北関東大震災 [日々の徒然]
2011年3月11日14時46分より少し遅れて、赤羽駅に停車していた京浜東北線の車両が大きく揺れました。揺れ方は、ゆらゆらと、大きく揺すられている感じで、地震特有のドーン!という感じではありませんでした。
その電車に乗っていた私は、特に危機感もなく、そのうち動くだろうとタカをくくって、仕事先で合流する予定だった同僚にホームから電話をかけ、時間通りにはいけそうにない旨と、遅れても必ず行く旨を伝えました。そう、その時点では携帯電話が普通に使えていました。
それからすぐ余震が来て、駅のアナウンスが、首都圏の全てのJR線が止まったことを告げました。ホームに立っていた私は、地震の横揺れを、なんだか船の上にいるようだなどと感じながら、駅コンコースへ階段を降りていき、そのまま大混雑する改札を抜けて外に出ました。
しばらく、iPhoneを使ってtwitterなどで情報を収集し、最早、仕事先へ行くことも、会社へ戻ることもできない事を悟り、まだ就業時間中ではありましたが、幸い動いているバスを使い、自宅へ戻って待機することにしました。
家でテレビを付けると、予想を上回る大惨事の映像が流れていました。
バスで帰宅出来たのは、かなりの幸運だったようです。
以降、多分これを読んでいだいている多くの方と同じように、時間が流れています。
首都圏の交通機関が麻痺して、家に帰れなかった方も多いと思います。
私の嫁さんも、仕事先から戻れず、勤務先に一泊して今日の午後帰ってきました。
週末の外出は取りやめ、できるだけ節電に努めつつ自宅にいます。
東北太平洋沿岸や福島原発など、大きな被災地の状況も気になりますが、私としては、まだ連絡が取れない茨城の両親の安否が一番の気がかりです。
昨日から電話は通じず、携帯も通じません。場所的には、大きな被害が出た場所から離れていますが、実家から10km程の場所に住む妹の義父からの情報では、水道、電気、ガスのライフラインが全滅であることがわかっています。
まぁ、両親が住むあたりは、災害対策について全国でも指折りの地域なので、多分どこかに避難しているのではないかとは思いますが、連絡が付かない事だけが気がかりです。
ところで、福島第一原発は、スリーマイル島原子力発電所事故を彷彿とさせる状況になってきていますね。NHKのニュースでは、爆発の有無を確認中とのことですが、流石に、これは、かなりまずいのではないかなぁ・・・。
建屋が吹っ飛んでしまった際に、どれほどの放射性物質が放出されたのかが問題です。
ちなみに、私の実家は、茨城県東海村にあります。
原発事故は、人ごとではありません。
Posted by Julian at 17時22分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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