2011年03月13日(日)
東北関東大震災 Part.2 [日々の徒然]
3/13 日曜日。朝、妹あてに両親から電話連絡があり、とりあえず無事であることがわかりました。一安心です。
しかし、電話は公衆電話から発信のみ、水は配給、食料も底を突き、配給を受けるにも、食料を手に入れるにも数時間は並ぶと言う現地の状況を知るに、既に70歳を越している両親の体力が限界に達しているであろうことが心配です。
東北地方の被災地で亡くなった方には、心から哀悼の意を表します。
しかし、今は東海村へ通じる道を、東京からの一般車両が通れるようになるのは、一体いつになるのか。それが最大の気がかりです。
各地から茨城県へ通じる道の利用で、今優先すべきは、多くの人々の命を救う援助物資の運送です。
茨城県中部〜北部にかけては、東北地方沿岸部と比べて被害そのものは少なく、ライフラインが途絶えている中で、大勢の人々が生きています。
また、福島県など近隣県からの避難受け入れも開始されています。
人が生きていれば、喉も渇くし、腹も減ります。
彼の地の物資は、この2日で、相当心細くなっているようです。
それ故、私情を殺して、今は、物資の輸送、あらゆるライフラインの復旧を担当するプロ達やレスキュー隊の通行を最優先に考えざるを得ません。
茨城の老人達は、その他多くの地域の老人達同様、若い人に物資を譲る人が多そうな気がします。
非常に心配しているのは、そう言う老人達へ食料や水が上手く配分されず、体力に劣る老人世帯で餓死者が出るような事態です。これは、なんとしても避けなくてはなりません。
東京にいては、なにもできません。
ただ、故郷の両親、親族、そして子供の頃にお世話になった(・・・迷惑をかけた(^^;)?)近隣の方々が、この困難を無事に乗り越えてくれることを、心から祈ります。
Posted by Julian at 18時33分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月12日(土)
東北関東大震災 [日々の徒然]
2011年3月11日14時46分より少し遅れて、赤羽駅に停車していた京浜東北線の車両が大きく揺れました。揺れ方は、ゆらゆらと、大きく揺すられている感じで、地震特有のドーン!という感じではありませんでした。
その電車に乗っていた私は、特に危機感もなく、そのうち動くだろうとタカをくくって、仕事先で合流する予定だった同僚にホームから電話をかけ、時間通りにはいけそうにない旨と、遅れても必ず行く旨を伝えました。そう、その時点では携帯電話が普通に使えていました。
それからすぐ余震が来て、駅のアナウンスが、首都圏の全てのJR線が止まったことを告げました。ホームに立っていた私は、地震の横揺れを、なんだか船の上にいるようだなどと感じながら、駅コンコースへ階段を降りていき、そのまま大混雑する改札を抜けて外に出ました。
しばらく、iPhoneを使ってtwitterなどで情報を収集し、最早、仕事先へ行くことも、会社へ戻ることもできない事を悟り、まだ就業時間中ではありましたが、幸い動いているバスを使い、自宅へ戻って待機することにしました。
家でテレビを付けると、予想を上回る大惨事の映像が流れていました。
バスで帰宅出来たのは、かなりの幸運だったようです。
以降、多分これを読んでいだいている多くの方と同じように、時間が流れています。
首都圏の交通機関が麻痺して、家に帰れなかった方も多いと思います。
私の嫁さんも、仕事先から戻れず、勤務先に一泊して今日の午後帰ってきました。
週末の外出は取りやめ、できるだけ節電に努めつつ自宅にいます。
東北太平洋沿岸や福島原発など、大きな被災地の状況も気になりますが、私としては、まだ連絡が取れない茨城の両親の安否が一番の気がかりです。
昨日から電話は通じず、携帯も通じません。場所的には、大きな被害が出た場所から離れていますが、実家から10km程の場所に住む妹の義父からの情報では、水道、電気、ガスのライフラインが全滅であることがわかっています。
まぁ、両親が住むあたりは、災害対策について全国でも指折りの地域なので、多分どこかに避難しているのではないかとは思いますが、連絡が付かない事だけが気がかりです。
ところで、福島第一原発は、スリーマイル島原子力発電所事故を彷彿とさせる状況になってきていますね。NHKのニュースでは、爆発の有無を確認中とのことですが、流石に、これは、かなりまずいのではないかなぁ・・・。
建屋が吹っ飛んでしまった際に、どれほどの放射性物質が放出されたのかが問題です。
ちなみに、私の実家は、茨城県東海村にあります。
原発事故は、人ごとではありません。
Posted by Julian at 17時22分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月10日(木)
顔 [銀塩写真]
壁にはまり込んだ、なんとも気持ち悪い「顔」は、新宿駅東口前にあるガムの宣伝看板です。
このテカテカしている黒い壁に映った街を撮ったつもりでしたが、映り込んだ街は、やはりこの「顔」のインパクトに負けてしまい、狙いとはかなり違う印象の写真になってます(^^;)
さて、明日働いたら、週末。
土曜日は、再修理から上がってきた黒のKonica FT-1 motorで、リベンジ撮影に出かける予定です。
Posted by Julian at 23時16分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月09日(水)
たこ焼き屋台 [銀塩写真]
新宿御苑で見かけた、たこ焼き屋台。
通りがかった時は、開店準備中でした。
ここのところ週末に時間がある時は、カメラを首からぶら下げて、お散歩カメラに出かけます。
連れ出すカメラは、その時の気分次第。
フィルム、デジタル。
コンパクト、一眼。
そして、レンジファインダー。
いつの間にか、色々な種類のカメラが手元に増えました。
フィルム用機材は、カメラもレンズも、ほぼ全て中古品です。
今週末も、時間がとれたら、カメラを片手に、ブラリとどこかへ出かけるつもりです。
・・・その前に、明日、明後日は、仕事しなきゃ(^^;)。
Posted by Julian at 22時35分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年03月07日(月)
銀のKonica FT-1 motor [銀塩写真]
昨日修理に出したものとは別に、もう一台FT-1 motorを持っています。
まだソニーに旧コニカのカメラメンテナンスサービスがあった2006年12月に、その時点で可能なオーバーホールをして頂いたカメラです。
SONY NEX-5を手に入れるまでは唯一のKonica ARレンズが使えるカメラでしたが、しばらくフィルムではあまり撮っていなかったため、ここ2年ほどは半年に一度フィルムを通すくらいしか使っていませんでした。
黒のFT-1 motorが再修理になってしまったため、日曜日は、銀のFT-1 motorで撮影に出かけました。
行き先は、丁度梅祭りが開催されている、近所の赤塚公園です。
梅の花は、白梅で六分咲き、紅梅は、まだまだ蕾でした。
何故かこのカーブ(曲がりの方向からすると、シュート?)した枝だけ九分咲きの樹がありました。
梅林の側の赤塚城本丸跡と言われる場所では、古武道演舞が行われており、その中に鷹匠も参加していました。
この鷹匠の手に止まっている鷹は、小さくて、かわいいです(^^)。
Posted by Julian at 21時03分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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